夫婦の銀杏(いちょう)の木が懐かしい鎮守の森を思い出すー湯殿神社

湯殿神社は出羽三山の山岳信仰神社
 
  出羽三山(山形県)とは月山、羽黒山、湯殿山の三つの山をさす、古くより信仰された修験道は、江戸時代になると庶民の信仰に移り、三山登拝が行われた。明治以降は羽黒山に信仰の中心が移る。大田区では冨士講、御獄講(みたけ)ほどには知られていないが、馬込には湯殿神社があり、千束には三山信仰を表すシンボルが『西国・板東・秩父百番供養塔』に刻まれていることから、おそらく御獄講の存在があったのであろう。一般に三山信仰は即身成仏のミイラによって知られている。 参考・大田区発行「史話13号」


鳥居のすぐ後ろに大きなイチョウの木がある、神社の方の話によれば向かって左はメスのイチョウ、右はオスで葉は小さめであるという

神社の創建ははっきりしないが、「根古屋谷の鎮守」と言われ馬込村の守り神であった。江戸時代には「羽黒権現社」と呼ばれていた。祭神は国作大己貴命(おおあなむちのみこと)、少彦名命(すくなびこのみこと)である。元はかなりの規模の神社であったらしい。参道の前の坂道を行くと、大田区立郷土博物館がある

上の写真は社殿から一段高くなった本殿、左は参道の階段を登った所にある社殿と狛犬。

狛犬(大正10年寄進)母親の足下にいる子供姿がおもしろい。右側の阿像(あぞう)手水石は明和4年(1767)の寄進である。左の狛犬は吽像(うんぞう)である、足下には鞠(マリ)がある。願主は當村の野村錫吉、石工は池上…内藤…と剥落していて読めない。
  青面金剛立像写真
青面金剛立像、宝暦12年(1762)駒型。観世音菩薩半跏像、寛文6年(1667)。地蔵菩薩像2体(造立不明)。それらが鳥居脇にある。 地蔵達写真

上の写真は、嶺道から第二京浜国道へつながる道である。大田区立郷土博物館付近から見たところ、右に見えるは、梶原屋敷跡と言われる所。その先の高く見える所が湯殿神社である。耕地整理の結果、真っ直ぐのほぼ2車線の道が出来上がった。

扉に戻る 住所 大田区南馬込5-18-7