ー珍しい牡丹(ぼたん)の花を足下に置く狛犬がある神明社ー

江戸時代より神明社と呼ばれていたが、創建は明らかでない。その頃は芝増上寺の寺領である。牡丹の花はそのことと関連があるのだろうか。狛犬は明治15年(1882)の奉納である
社殿写真
上の写真は、右の「子取りの阿像」である
社殿は現在、幼稚園の敷地内にあり自由に見ることは出来ないが、狛犬は離れた園外にあるので自由に見られる。 左の写真は吽像尾の下に彫られている刻印である。
 

狛犬について……
    写真左上の狛犬は、足下に鞠や子供ではなく「牡丹の花」に足を載せている。最初は「蓮の花」と考えた、しかし、「唐獅子牡丹」と言われるように「牡丹」と思い訂正します。おそらく大田区では他に例のない狛犬ではないか。
 
  石工は「東京芝伊皿子町 和田五兵衛」とある。寄進は芝の人達らしく、明治15年4月○月とある。大田区の資料によれば、江戸時代、この神社は神明宮とよばれており馬込村の鎮守であったらしい。その頃、この地は徳川家の菩提寺芝増上寺の寺領であった。別当は廃寺になった泉生寺であった、おそらく明治の神仏分離による影響ではないかと思われる。狛犬も芝の人々の寄進によるのは、増上寺との関係によるのだろうか。


牡丹について
 牡丹は中国北西部原産の花で、古来より中国人に愛され、皇帝の花として清代以降、1929年まで国の花であった。日本には、700年頃に薬用植物として渡来した。このため寺で栽培されることが多かった。花は大きく花弁が多く、先端は不規則に切れ込んでいる。元々寒冷な地の植物である。
 花名に「白王獅子」とあるのは牡丹(牡丹科)であるが、「獅子牡丹」とあるのは朝顔の花である。日光東照宮にも「牡丹」は数多く彫られており、唐草文様の要に使われている。「獅子に牡丹」「唐獅子牡丹」などと言われ「男気(おとこ気)」を表す言葉として使われた。紋所や着物の柄にも多く使われている。また、島根県の県花として使われている。


芝伊皿子町について
 芝伊皿子寺町と芝伊皿子七軒町があり、現在の港区三田4丁目、高輪大木戸跡あたりである。古くは上高輪村であり寺院が数多くあった。明治2年(1869)には西久保明船町といわれた。参考「東京都の地名」平凡社)

台座「石工名 和田左兵衛」と狛犬像の彫工「石工名 飯田紋次」が違うのは、台座の劣化により、台座を取り替えたためではためではないだろうか。もちろん、狛犬のほうが古い。
  阿像台座に彫られている刻印。 


区内唯一の庚申灯籠
 
  灯籠型の庚申塔は、他にもあるが神明社のように「笠石の正面に庚申信仰の本尊である青面金剛(しょうめんこんごう)を彫ったものは珍しく貴重である」(大田区文化財の立て札より)と言われる。造立は享保3年(1718)である。青面金剛の姿にはいくつもの形があるが、ここの手を合わせた合掌姿も心を打つ、灯籠は常夜灯としても使われたのだろうか。この「庚申灯籠」は神社の裏側にある。(高さ1235ミリ、笠石の幅213ミリ、奥行き180ミリ)
  参考「大田区の文化財 第五集 大田区の民間信仰 庚申信仰編)

住所 南馬込1丁目40-11 扉に戻る 狛犬扉に