新田義興の侍女少将局を祀ったと言われる蒲田の女塚神社


女塚の由来
 
  伝承 には三つの説がある。ひとつはこの地の長者の娘を葬った。ふたつ目は、旅の婦人が害され殺されたのを哀れんで葬った。みっsつ目は、神社由緒にあるように新田義興の侍女少将局を祀ったと言うものである、いずれも伝説の域を出ない


神社神木写真

↑●昭和42年(1909)まで女塚町と呼ばれた。現住所は西蒲田1、3〜7丁目、池上5丁目あたりである。
新田義興を色仕掛けにするため、足利方武将・竹沢右京亮が送り込んだ「御所の少将」が裏切ったため殺された、これを哀れみ塚を造り祀った。

 現在地は明治5年(1872)に移転してきた、元の場所は東海道筋(蒲田駅東口)にあった。創建年代は不明である、宇佐八幡を慶長19年(1614)に勧請したと言う説と、元和元年(1615)に設立したという説がある。


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写真左が円墳らしき所、女塚霊神が祀られている。
  住所 西蒲田6-22-1

稲荷神社写真
昭和40年(1965)再建の本殿
狛犬の奉納は昭和40年 (1965)である。 狛犬写真
 
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