北辰菩薩を祭る妙見堂、江戸時代末期の神社装飾彫刻
文久3年(1863)
写真
江戸末期の神社装飾を表す
 
  妙見堂は木造銅板葺入母屋造で、文久3年(1863)建造されたと言われる。妙見尊像を祀っている。寛文4年7月(1664)、紀州徳川頼宣の夫人瑤林院が、夫頼宣の無事を祈願して寄進した像である。本門寺第19代日豊によって開眼されたものである。妙見堂は昭和20年4月15日の被爆でも消失を免れ、本門寺寺域でも貴重な建物である。
 
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妙見堂灯籠について……神前型(眷属の蛇と亀)
 灯籠は、妙見信仰の蛇と亀を見事に具現化している、亀の背から蝋燭の芯のようにのびた所に蛇が巻き付いている(バチ型変形)。

  灯籠の明かり部分(火袋)に日月の透かし彫り、が載っている、笠には左卍陽刻、見事な灯籠である。亀趺(きふ)上中細り円筒型。
 中国からの伝来である。残念なことに左側の灯籠は、亀の顔部分と前足が失われている
。妙見信仰は藤原・鎌倉を通じて信仰された。石灯籠2基は妙見信仰が隆盛をきわめた頃、天保6年(1835)11月に徳川頼宣夫人瑤林院から寄進されたものである。 亀の顔部分(右側の灯籠)大分剥落していが、まだ足の部分もしっかりと残っている。 〈上二枚の写真説明〉(頭は左側にある)

写真は、右側の灯籠である。火袋の火口は三日月と丸三つの模様である。亀の顔も良く分かり、左の灯籠より保存状態は良いようだ。

写真の灯籠は、3月11日の大震災で倒壊した。もう一度復旧するかどうか分からない。(2011.4月)
 
石灯籠写真

池上の台地に鎮座する妙見堂
 池上通りから呑川沿いを大森方向に歩く、照栄院の脇にかなり急な階段が見える。この階段は文化14年(1817)に地元の講中が中心となり建設された。また、旧池上の道標がある。

亀趺形の灯籠《照栄院と妙見堂の歩み》

照栄院の左脇にある石段を登ったところに妙見堂がある。古くは池上本門寺全体の守護神として勧請されたが、本門寺・第22代日玄により、鎌倉「比企谷の宝篋堂檀林」を本門寺に移し南谷檀林を創立した。檀林守護神として、妙見尊像のみが移祀されたものであるという。
 その後、宝永7年(1710)の大火で妙見堂が消失したことから、全面的に管理が照栄院に移管された。檀林の中にあり修行僧の信仰を受けていた妙見尊像が、どうして壇信徒の信仰を受けるようになったのか、そこには、妙見尊像の修復の際に広く浄財を求めたことに起因するという。特に「講中」の役割が大きかった、のちに「妙見講」として商売繁盛の神として多くの参詣者を集めるようになった。


商業神としての妙見信仰…
 商業神として、年二回(5/15、11/15)の星祭り大祭と毎月の縁日が行われるようになった。
天保期(1830〜1843)には最盛期を迎えた。境内の石灯籠2基は天保6年(1835)11月に奉納されたものである。幕末まで庶民の商売繁盛、家内安全、延命息災などの霊験あらたかな神として、また、明治維新以後は「厄除開運の妙見」として今日に至っている。


葛飾北斎と妙見信仰について…
 江戸時代に隆盛を極めた妙見信仰は、「富岳三十六景」の浮世絵で知られる葛飾北斎が、熱心な妙見信仰信者であることでも知られている。画号の北斎も妙見信仰にもとずいた形(卍)である。彼は柳島の妙見堂を信仰しており、そのあたりに住むことを好んだという。
  また池上本門寺もたびたび参拝に訪れたということから、この妙見堂にも訪れたに違いない。北斎も池上本門寺の浮世絵を描いたと思うが発見されていない。


《妙見信仰と日蓮宗の関連》

中国では、
北極星は古くから信仰の対象とされた。密教と結びつき妙見(北辰)菩薩の信仰が生まれた。日本に伝わると北極星と北斗七星は同一視されて妙見信仰となった。妙見菩薩は国土を擁護して人民安楽をする仏として信仰された。

妙見菩薩信仰は仏教の各派や修験道に広く信仰された。特に日蓮宗では、日蓮の「星下り」伝説(宗門の隆盛を祈る日蓮の前に明星のような大きな星が落ちてきて、梅の木に掛かった)により特に信仰され。また、古くから関東の武士達に信仰されていた北斗七星信仰と日蓮宗を結びつけたのは、関東の豪族千葉氏であった。


上の写真は「お百度参りの石」である。開運厄除の神社に数多くある。明治31年(1898)とあり、明治の時にも参拝者の多かったことをうかがわせる。百度石

北斎が晩年に毎日描いたと言われる獅子である。

江戸時代に妙見信仰は、江戸幕府を守ると信じられたのではないか
 
  この北辰信仰も陰陽道との習合が見られ、北方七宿の神獣である蛇と亀が眷属として守り神と信じられた、上の灯籠はそのことを具現化している。漫画にもなった江戸千葉道場は北辰一刀流で、若き坂本竜馬もこの道場の師範代を務めたこともある。(参考「日蓮宗における妙見信仰」坂本勝成 大田区史話 第4号)
《古代からの北極星信仰》
 牧畜生活者にとって方角(方位)を知ることは大切な生活の指針であった。北極星を見つけるために北斗七星は大事な星座であり、小さいことより教えられた。関東武蔵の国は馬が生活に必要な動物であったことから、自然に北斗信仰が生まれた。

住所 大田区池上1-32
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