大田区山岳信仰と社殿彫刻(浦島太郎などの物語)がある御嶽神社
古写真






御嶽神社 正面
 大きな石碑だ、ここまで大きなものは珍しい。山のイメージを出すため大きくしたのだろうか。天保2年(1831)一山行者(俗名・治兵衛)が社殿を開設した。

御嶽神社の神紋 (写真上の右)
 この印しは、御嶽山末広講のもの、天水桶にもあり嘉永7年(1854)、願主増田安二郎、南八丁堀 増田利助とある。後ろは御嶽山の稜線をイメージした曲線であろうか。 上の写真は大正時代の「絵はがき」である。
写真 注連縄
鳥居と注連縄(しめなわ)
 現在、神社では注連縄は正月以外に見なくなってしまった。隣の世田谷区・奥沢神社では、例大祭には鳥居にわら製の大蛇が絡みついている珍しい注連縄(しめなわ)があるそうだ。鳥居は昭和54年(1979)社殿創建150年を記念して建てられた。


一山行者は御嶽登拝をして滝でうたれているうちに神託を受けたと言われる。神託の中身は『武州荏原郡嶺村に御嶽の小祠があるので、これを祀れ』と言うものであった。

一山神社(左)
 明治2年(1869)建立、御嶽神社を開いた「一山行者」を祭った神社である。
上は「開山一山行者の石碑」、大正2年(1913)近藤清方中造る。
オオカミ狛犬写真
オオカミ(狼)の狛犬
 
  右の写真は御嶽神社の「神使」(しんし)である。この狛犬は、山岳系神社(三峯山・御嶽山など)に見られる。祠前(ほこらまえ)に狛犬の代わりにおかれた。オオカミは大神(オオカミ)でもあり、古くから「山の神」として猟師達の信仰の対象になっていた。御嶽神社にいて当然な狛犬である。

三遊亭円丈氏(落語家)によれば、オオカミの見分け方は『狐と違いキバがある、脇腹にアバラが見える、耳は立っていないで寝ている。山岳系神社にしかいない、下の台座が岩のような岩座が多い』と定義している。御嶽神社も、ほぼ定義どうりである。左右対で、大きさは高さ1メートルほどである(寄進者等不明)。また、古い神社にはオオカミと言うより犬(和犬)と思われるものもある。オオカミとの見分け方は三遊亭円丈氏の言われるようだ。

このオオカミ狛犬は社殿以前よりあったと言われる、社殿新築時に古い部分を取り替えたため刻印などが不明となったらしい。江戸・明治のオオカミの図譜

上は御嶽神社の神使(しんし)右側、口には巻物をくわえている

山岳信仰の人造御嶽塚の名残か、講の石碑が集められている。

水盤社、手水石は2基あり、
明和8年(1771)と
文政13年(18309)
オオカミ狛犬写真
一山行者神社写真  
額写真
上の写真がその名残でありましょう、民俗学にも大事な遺物となっています。木曽御嶽神社の分社「三社宮」の額、祭神は国常立命、国狭槌命、豊雲野尊を祭る。

御嶽神社は木曽・御嶽神社の分社である
  江戸時代になると山岳信仰(富士講・大山講と御嶽講)が盛んになり、霊峰富士や木曽の御嶽に集団登山することが広まりました。木曽御岳で修検道を学んだ一山行者が、神のお告げにより此の土地に御嶽神社を天保2年(1831)に造った。その後、人造御嶽(高さ4メートルほど)を造り、木曽御岳に行けない人も「この人造御嶽に登ると同じような御利益を得ることが出来る」と信じられたために大変な賑わいであったと言われています。(参考資料 『御嶽神社と嶺一山講』御嶽神社社務所発行 昭和61年(1986)刊)

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住所 大田区北嶺町37-20 東急池上線 御嶽山駅下車すぐあります。
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