磐井神社の子だくさん狛犬…何故、子沢山なのか?
 

写真は左の「子取りの阿像(雌の獅子)」
と右の同じく阿像


磐井神社の狛犬、明治14年(1881)4月
 
  磐井神社の狛犬は大変な子沢山である、写真左の狛犬は「子取り阿像」と思うが、三匹の子供を背中と足下に連れている。右の狛犬と比べやや口の開きが少ないので吽像的にイメージしているのかもしれない。

  また右の「子取りの阿像」も獅子型の狛犬で同じく三匹の子供を連れている。寄進は明治14年(1881)、石工は高橋安五郎と言われている。下の右写真は、左の狛犬を後ろから見たところ、尾は体に巻き付くように左右に分かれている。明治の時代は「生めよ増やせよ
が世間の風潮であった。それが狛犬の世界にも影響しているのか、考えさせる狛犬である。


 写真二点は、先代の狛犬である。一匹しか残されていない。2008年
に行ってみるとこの先代狛犬はなかった。おそらく廃棄されたので
あろう。
      

前のページに
     目次扉に戻る

先代狛犬について (2006年撮影)
 
  石碑の前には先代の狛犬一頭が休んでいた。頭部と左足部分は欠けており、元の状態を想像するのは不可能である。特に頭丁部は穴が開いて見たときは水が溜まっていた。
  ただ、大変胴が長く中近東の獅子像を思わせる。大田区では他に見られない狛犬であろう。製作年代も何も分からないが、想像するに江戸時代ではなかろうか。大変ユニークである。全くの推測であるが、大田区で一番古い六郷神社の先代狛犬と肩を並べるのではないかと思う。