宝塔も37年ぶりの大規模な改修が終わり、優美な姿を現した


『宝塔』
 江戸時代・天保元年
(1830)、宝塔は、江戸の住人永岡恭重が建造したと言われる。また、1828年(文政11年)、日蓮の550遠忌を記念して再建されたとも言われる。日蓮の荼毘所である。昭和50年(1975)に解体修理が行われた。今回の大修理で建設当時の漆の赤色が再現された。方形の石の基壇上に蓮華座(れんげざ)を作り、その上に円形の宝塔、方形の屋根をのせている。この宝塔形式はあまり例がなく、都の指定文化財になっている。

裏側から見た宝塔

扉部分拡大表示

組み物拡大表示


組み物の霊獣には鳥の糞から保護するため金網がかけられている。画面上の黒い線がそれである。


37年ぶりの全面改修がなった宝塔の姿。宝塔には色々な呼び方がある。祖師日蓮が火葬されたところから「御灰堂」、または「多宝堂」とも呼ばれた。修復された軒下の組み物は素晴らしく、日光東照宮の華麗さを彷彿させる。
 
上部におそらく鸞(らん)であろう鳥が16体、三本の爪を持つ足のある龍が角すみに4体、一面に龍頭が8体の32体、全部で36体の龍がいる。

宝塔の周りには、江戸絵師狩野家の墓が数多くある、亀の甲羅にたつ墓があり、これが狩野家の墓である。菩提寺は南之院である。


目次扉に戻る      古い宝塔