元は名主・酒井権左衛門の屋敷内にあった庭内社(日枝神社)


撮影した2006年当時は、全く社殿建築様式には関心がなかったため、戦後再建された神社であるとの認識しかなかった。2011年6月、再訪すると同神社が第二次世界戦争の空襲で失われた前神社(江戸末期頃)を忠実に再建しようとした情熱から、昭和28年(1948)に困難を乗り越え造られた社殿ということが判明した。拝殿は入母屋造正面千鳥破風軒唐破風付の屋根形式である。江戸時代、新井宿の名主酒井権左衛門の邸内社として建造されたが、延宝5年(1677)に円能寺が別当になり、幕末頃になり建て替えられた。江戸末期建築装飾の寺社

日枝神社写真
日枝神社について………
  古くは山王社と呼ばれ、延宝5年(1677)から円能寺が別当になった神社である。祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)である。神社は山王台地にあり、池上道(平間街道)から南品川に向かう所にある。道は、江戸時代に東海道の間道と交差する十字路であった。


彫刻板
獅子の木鼻、虹梁と向拝柱角の籠彫りの持ち送り、虹梁には水鳥の彫り物など装飾に富んでいる。これは江戸末期18世紀の特徴を表している。

籠彫りの波は「波の伊八」スタイル

江戸末期の特徴を示す海老虹梁の大きな曲がり
江戸末期の特徴である。

  この間道は江戸時代に 、婦女子など鈴ヶ森刑場を嫌う人が登る、東海道からの迂回路となっていた。神社前の斜面を登ってくる古道は、線路で分断されているが、古道の雰囲気を残している。この道が大田区と品川区の境である。江戸時代以前から人の往来があった古い場所である。神社内の山王稲荷神社には、江戸時代と思われる道標が保存されていた
道標(どうひょう・道しるべ)について
 境内の山王稲荷社前には、写真の道標が置いてある。高さは70センチほどで天上部分に丸く穴がいくつかある。見たときは何か差し込んであった穴かと考えたが、よく考えると雨で穿たれた痕ではないかと気付いた。道標が立っていた場所に上から「雨のしずく」が規則正しく同じ場所に落ちたのである。七つほどの穴は長年にわたり雨に穿たれ、今のような形になった、長い間、同じ所に立っていたのだと思う。
大田区の道標

この道標について大田区資料があった。その場所は現在の山王小学校校門前である。造られたのは文政2年(1819)、新井宿の村人が立てた道標を兼ねた「庚申塔」である。文字については左写真説明を参照してください。
道標写真

おそらく雨だれにより
凹んだ道標頭部
 
道標写真

写真は庚申塔、道標を兼ねている。「右なかのふ・めくろ道(目黒道)」は確認が出来る。
右の写真 上の写真の反対側で「左まごめ道」と確認できる。(大田区資料参照)
山王稲荷写真

日枝神社境内、山王稲荷社の奥に庚申塔と狸の置物がおかれている。左の庚申塔は、板碑型(形が鎌倉・室町の板碑に似ているからこのように呼ばれる)で、造立は貞享元年(1684)である。真ん中の庚申塔は、駒型(形が将棋の駒に似ている)で元禄13年(1700)のものである。狸の像は分からない。

住所 大田区山王1-6-2 JR山王口駅の近く
(大井方向)
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