ー第二京浜国道を渡ると呑川の低地、その台地斜面には横穴墓跡が密集するー


目黒道を歩く……2

本門寺梅園にそって歩き第二京浜国道の信号を渡る。やや五反田方向に戻ると右写真の目黒・池上道が見える。
昭和11年(1936)の第二京浜国道の建設で、本門寺裏門辺りから馬込坂上まで直線の国道を建設した。その時の切り通し建設で地形は原形をとどめないほど変わった。土砂は谷の埋め立てに使わた、出現した「横穴墓」は調査することなく破壊され、人骨は無造作に打ち捨てられた。一説に拠れば、大田区全体で確認された横穴墓は260基を越え、未確認を含めると500基を越すと言われる。そのほとんどが未調査や後からの確認のみであり、充分な発掘調査は成されていない。


写真は、第二京浜国道から入ったところである、右側に歩道があり新幹線あたりまで桜並木となっている。道は耕地整理の際、大幅に広げられた。

馬込中学校裏門写真

左上の写真は、大田区立馬込中学校の裏門を見たところ、学校の前には嶺道が平行している。この位置から先の斜面土手は、横穴墓の密集地帯である。不思議なことに住居跡は発見されていない。特に塚越14号横穴墓は官人が持つ刀が出土したことで有名である。その剣は郷土博物館に常設展示されている。左写真は大尽坂、下の写真は、大尽坂下にある庚申道。地図を見る

大尽坂写真
大尽坂
庚申堂写真

嶺道から急な下り、大尽坂と庚申堂……太田区立大森第十中学校そば
 
  大尽坂の坂上に名前を書いた木柱があるが、比較的に新しい名付けで詳しいことは分からない。また、坂下には写真の庚申堂があるが、住所から調べても詳しいことは分からなかった。造作はしっかりしているので古いものであろう。また、大森十中前から斜めに台地裾に入る道が、古い目黒・池上道である、庚申堂の前から林昌寺近くまで、くねくねと細い旧道がある。道を真っ直ぐ進むとぐに根方の「林昌寺」と「子安八幡神社」が右方に見える。この辺りから左に曲がり、バス通りを渡ると呑川「道々橋」に行き着く。橋のわきに「樹林寺」がある。

新幹線ガード付近写真


子安八幡神社の入り口付近より、新幹線・横須賀線のガードが見える。ガードを潜り左の道を行くと荏原病院バス通りの嶺道に行ける三叉路となる。「長慶寺」はその坂下にある。

写真上は現在の綱島園そばの新幹線と横須賀線である。防護のためフェンスで囲まれているが、私が小学生の時は、ここにカマボコ型の鉄道用具入れがあり、柵もなく建物の屋根に登り品鶴線貨物車を見送ったものである。現在でも鉄道好きの子供達が陸橋に登り新幹線に手を振っている。

上の写真に新幹線と横須賀線の
ガードが見える。
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