光明寺道標が示す「渡し」への五差路
2009.02.10
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左の写真
 五差路(千鳥3-26ー19)に立つ光明寺道標である。右信号方向は平間街道(古池上道)である。渡るのは環状八号線。昭和42年(1967)に着工したが光明寺の墓地の移転に同意が得られず22年間がかりの工事となった。今の4車線になったのは平成元年(1989)である。このあたりはガス橋への道、環状八号線など新しい道と古い道が交差しており複雑である。

下の写真 〈光明寺道標正面〉
 左に見える並木道が古い平間街道(古池上道)で、右側に目蒲線下丸子の駅がある。線路を渡り道なりに行くと多摩川の土手に出る。当時の渡しはガス橋の近くで、江戸時代の渡しはもっと近くだったらしい。ここから平間の渡しまで600メートルぐらいである。不思議なことに道標には矢口の渡しの文字は刻印されていない。
 ビル右側から多摩堤通りで曲がると、光明寺池が右側に見えるはずだが、工事用フェンスで仕切られている。信号機うしろが『天明家』(私有地)で、この家の前から環状八号線沿いに少し歩くと光明寺に至るが、環八の工事で敷地が縮小されたせいか古くからの大寺である名刹の面影はなくなった。


〈光明寺道標背面〉拡大表示
 
  高さ142センチある。上部が折れている。破損部分は光明寺に保存されている。各面に光明寺への入口や安置勧請する神仏などが彫ってある。嘉永4年(1851)に矢口村の北島谷五郎達によって寄進建立された。

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光明寺道標正面↑拡大表示
木立は旧家の天明家   五差路付近地図↓

左の道を行くと、六郷の渡しへ向かう、そこより古川薬師と川崎大師(平間寺)に行くことが出来る。距離は歩くと2キロぐらいである。また、矢口渡しより光明寺、新田神社にお参りに行くことも行楽のコースであった

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右は、昭和初期の地図から作成した五差路付近、白いラインが現在の環状八号線 黒丸は光明寺道標の位置である、環八外側、下丸子駅近くである。環状八号線の反対側あたりには、「下丸子の分水口跡」の案内板があり、六郷用水が分かれたところである。六郷用水が分かれたところである。   
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