六郷鉄橋を渡る蒸気車と渡船…錦絵……六郷の渡しー3
2015.08.02更新
浮世絵 三枚揃い
「六郷蒸気車鉄道之図」 昇斉一景 明治4年(1871)大田区立郷土博物館蔵


〈多摩川を渡る蒸気車…日本で初めての蒸気機関車〉

 明治5年5月7日(1872)、品川と横浜の間を結んだ官営鉄道が開通した。品川と横浜の運賃は「上等93銭、下等31銭」である。同年9月12日には、新橋と横浜間が開通した。明治天皇も行幸され盛大な開通式が行われた。横浜までの所要時間は53分、運賃は「上等1円50銭、中等1円、下等50銭5厘」で大変高価だった。(参照・『日本鉄道史』鉄道省)

 最初は、日本人で造ろうとしたが無理のため、断念して英国の資金と技術に頼ることになった。明治3年(1870)に始め、開通は5年(1872)となった。開通当初は木橋で、鉄橋の完成は明治10年(1877)である。絵でわかるように人の渡る橋はなく、いまだ渡船である。上の錦絵に描かれた鉄橋は架け替えののち、愛知県犬山市の『明治村』に一部移築された。その姿は、明治村ホームページで見ることが出来る。



木造の六郷橋狭量である。明治8年頃と思われる。川崎側からみたところ。(写真・大田区立郷土博物館蔵・須山長太郎氏所蔵のアルバムから) 明治3年10月(1870)着工、翌年7月完成、橋梁部分の長さ624メートル、材料は丸太である。(参照・『新日本鉄道史 上』鉄道図書刊行会 昭和42年刊)
http://www.meijimura.com/ 明治村アドレス・歴史的建造物をご覧ください
下は「東海道線六郷川橋梁」(戦前土木絵葉書ライブラリー所蔵 )
ー明治10年(1870)に鉄橋に架け替えられた六郷鉄橋ー

イギリスで製作され、日本で組み立てられた六郷鉄橋
 
  新たな鉄橋の設計者は鉄道省の雇用建築師シャーヴィントンと雇用建築助役のシャンで、製作は英国リバプールで行われた。全長は5 0 0 メートル、流水部は径間1 0 0 フィートの錬鉄製のポニー・ワーレントラス(筋交の傾斜方向が交互に変わるタイプで、トラスが上面まで覆っていないもの) 6 連(182メートル)、河原部分は洪水の時に線路が埋まらないように水を逃がす避溢橋となっており、24連で石積みの橋脚と、川中の橋脚はコンクリートか鋳鉄製円筒を基礎とした煉瓦積みの橋脚が作られた。鉄橋に改架された際同時に複線化が図られた。明治10年(187711月に完成したこの鉄橋は、明治45年(1912)まで35年間使用された。大正4年(1915)撤去され、単線用に改造され御殿場線の第二酒匂川橋梁に再使用された。この酒匂川鉄橋古写真を六郷橋鉄橋と間違える場合がある、明治村で保存されている六郷川橋梁

ー大師電気鉄道、後の京急電気鉄道(明治33年)ー 2016.08.02更新
写真
写真は六郷橋と大師の間を結ぶ路面電車(大師電気鉄道)、桜並木を走っているところ。(京浜急行電鉄 写真使用許可済み)
  〈大師電気鉄道の開通〉上の写真

電車の開通は、明治32年(1899)のことである。
 
『京浜電車が六郷橋と川崎大師の間に初めて電車を運転したのは 明治32年(1899年)1月21日、車両はわずか5両、2km の単線を行ったり来たりで、大師電気鉄道という名前でした。』「京浜急行今昔物語」元 鉄道友の会理事 吉村 光夫 氏(平成8年7月28日)より
 
  料金は、並等5銭、上等10銭で、当時の物価からは見ると高かった。遊覧電車的な色合いが強かった。明治32年(1899)「大師電気鉄道」は、「京浜電気鉄道」と社名を変えた。


  電車の速度は時速13キロメートルであった。この路面電車は、川崎大師に参拝客を運ぶのが目的であった。当時の輸送手段である人力車や乗合馬車との競合に反対も多かったという。そのため、人力車への連絡切符も用意された。順調なスタートであった。官営鉄道が広軌になると言う話があり、レール幅も1,435ミリとしてスタートした。(参考 『京浜急行九十年史 京浜急行電鉄発行』社史)


明治政府は、国の近代化を急ぐため鉄道の開通を優先させた。

 人間の往来のための橋は後回しにされた。明治7年(1874)橋は民間人(鈴木左内)によって架けられた。この橋がなくなると、明治16年(1883)八幡塚・川崎両者の有志が架橋した、やはり通行料のいる有料橋であり、この時から六郷橋といわれた。
 
  明治33年(1900)民間の会社(京浜電気鉄道株式会社)は、六郷橋を買収して橋上に軌道を造り電車をとおすつもりであったが実現しなかった。明治36年からは無料となり国に献納された。その後、明治43年(1910)、大正2年にも流出した。大正14年(1925)に鉄橋となった。この橋は昭和59年(1984)まで使用された。

 新六郷橋は、昭和59年(1984)から工事を始め高架式の鉄橋となった。(参考 『博物館ノート NO29』 大田区立郷土博物館)明治8年(1875)、最初の木橋の貴重な写真(上記)が「史話13号 六郷川の鉄道木橋」(大田区史編さん室)に掲載されている。


写真
現在の六郷橋を渡る京浜急行電車、江戸から明治にかけての六郷の渡しは、左下の木が密集したあたりである。位置関係から見るとトップの錦絵は、川崎側から描いたのであろうと思われる。川床は広く、鉄橋両側に草野球のグランドがある。
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