明治10年(1870)に鉄橋に架け替えられた
六郷鉄橋の写真 撮影時期は不明

「六郷鉄橋」(『旅の家つと』12号 光村写真部発行 明治31年から35年に発行) 国立国会図書館デジタルコレクション所蔵

上の写真は、明治13年(1880)、複線化が完成した後の六郷鉄橋である。おそらく唯一の六郷鉄橋写真であろう。六郷川の川中に橋脚が四基、川床に三基の橋脚が確認できる。今までは正確な橋脚の数はふめいであった。下の浮世絵のような資料しかなかった。

浮世絵 三枚揃い
「六郷蒸気車鉄道之図」 昇斉一景 明治4年(1871)大田区立郷土博物館蔵

下の写真は開業から使われた木造の六郷橋橋梁である。明治8年頃と思われる。川崎側からみたところ。(写真・大田区立郷土博物館蔵・須山長太郎氏所蔵のアルバムから) 明治3年10月(1870)着工、翌年7月完成、橋梁部分の長さ624メートル、材料は丸太である。(参照・『新日本鉄道史 上』鉄道図書刊行会 昭和42年刊)


明治5年5月7日(1872)、品川と横浜の間を結んだ官営鉄道が開通した。品川と横浜の運賃は「上等93銭、下等31銭」である。同年9月12日には、新橋と横浜間が開通した。明治天皇も行幸され盛大な開通式が行われた。横浜までの所要時間は53分、運賃は「上等1円50銭、中等1円、下等50銭5厘」で大変高価だった。(参照・『日本鉄道史』鉄道省)
上記の浮世絵は出来上がった橋梁を書いたものでなく、想像の産物であるため、橋脚の形態や本数が違う。完成した六郷鉄橋を見る。

 最初は、日本人で造ろうとしたが無理のため、断念して英国の資金(ポンド借款)と技術(イギリス人技術者)に頼ることになった。明治3年(1870)に始め、開通は5年(1872)となった。開通当初は木橋で、鉄橋の完成は明治10年(1877)である。絵でわかるように人の渡る橋はなく、いまだ渡船である。上の錦絵に描かれた鉄橋は架け替えののち、愛知県犬山市の『明治村』に一部移築された。その姿は、明治村ホームページで見ることが出来る。

http://www.meijimura.com/ 明治村アドレス・歴史的建造物をご覧ください

下は「東海道線六郷川橋梁」(戦前土木絵葉書ライブラリー所蔵 )
イギリスで製作され、日本で組み立てられた六郷鉄橋


上はリチャード・フィッカード・ボイル設計の六郷鉄橋図面 (開港資料館所蔵)
『東京ー横浜間六郷川鉄橋橋脚・橋台詳細図』(「開港のひろば」昭和58年2月1日 第3号)明治9年、六郷側鉄橋 (鋳鉄製井筒)製である。
新しい六郷鉄橋は明治10年(1877)11月に完成した。径間27.4m、錬鉄製ワーレン構桁6連(182メートル)、橋脚は鋳鉄製シリンダー(井筒)が3連(6脚)、避溢橋(ひいつばし)(河原部分)は上路鈑桁24連から成り、橋脚は井筒(シリンダー)3脚、径間12.4m鋳鉄製鈑桁24連、複線とし延長502m、流心に対し直角でなく16度傾いていた。ボイルの設計で、イギリスから購入した構桁は明治45年まで使用され後、単線用に改造され、御殿場線で昭和40年まで使用した(現在鉄道記念物である)。
 
新たな鉄橋の設計者は鉄道省の雇用建築師シャーヴィントンと雇用建築助役のシャンで、製作は英国リバプールで行われた。全長は5 0 0 メートル、流水部は径間1 0 0 フィートの錬鉄製のポニー・ワーレントラス(筋交の傾斜方向が交互に変わるタイプで、トラスが上面まで覆っていないもの) 6 連(182メートル)、河原部分は洪水の時に線路が埋まらないように水を逃がす避溢橋となっており、24連で石積みの橋脚と、川中の橋脚はコンクリートか鋳鉄製円筒を基礎とした煉瓦積みの橋脚が作られた。鉄橋に改架された際同時に複線化が図られた。明治10年(187711月に完成したこの鉄橋は、明治45年(1912)まで35年間使用された。大正4年(1915)撤去され、単線用に改造され御殿場線の第二酒匂川橋梁に再使用された。この酒匂川鉄橋古写真を六郷橋鉄橋と間違える場合がある、明治村で保存されている六郷川橋梁


明治政府は、国の近代化を急ぐため鉄道の開通を優先させた。

 人間の往来のための橋は後回しにされた。明治7年(1874)橋は民間人(鈴木左内)によって架けられた。この橋がなくなると、明治16年(1883)八幡塚・川崎両者の有志が架橋した、やはり通行料のいる有料橋であり、この時から六郷橋といわれた。
 
  明治33年(1900)民間の会社(京浜電気鉄道株式会社)は、六郷橋を買収して橋上に軌道を造り電車をとおすつもりであったが実現しなかった。明治36年からは無料となり国に献納された。その後、明治43年(1910)、大正2年にも流出した。大正14年(1925)に鉄橋となった。この橋は昭和59年(1984)まで使用された。

 新六郷橋は、昭和59年(1984)から工事を始め高架式の鉄橋となった。(参考 『博物館ノート NO29』 大田区立郷土博物館)明治8年(1875)、最初の木橋の貴重な写真(上記)が「史話13号 六郷川の鉄道木橋」(大田区史編さん室)に掲載されている。

写真
現在の六郷橋を渡る京浜急行電車、江戸から明治にかけての六郷の渡しは、左下の木が密集したあたりである。位置関係から見るとトップの錦絵は、川崎側から描いたのであろうと思われる。川床は広く、鉄橋両側に草野球のグランドがある。
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