八景坂の松は一本か二本か、時代で違う浮世絵を比較する


江戸名所図会『八景坂鎧掛松』の松は二本ある。拡大表示 

茶屋の道は、鎌倉から奥州を結ぶ「下ノ道」(平間街道)である。 鎌倉からの「下ノ道地図」を見る。
歌川広重浮世絵
『東都名所坂つくしの内 品川大井八景坂鎧掛松』歌川広重 天保11〜13年(1844〜47
歌川広重浮世絵
絵本『江戸土産 八景坂鎧掛松』 歌川広重 嘉永3年(1850)

時代で変化した松の本数浮世絵で確認する
 

上記2点の絵には、松が二本描いてある、手前の松は岩の上に生えているように見える。後ろの松は茶屋の前の地面に生えている。嘉永3年(1850)以降に描かれた八景坂浮世絵(名所江戸百景)には、一本の松しか描かれていない。それも岩の上ではなく、地面の上に生えている様に見える、おそらく茶屋の松である。個人的な推理だが「岩上の松」が天災(地震)により崩れ落ちたのではないか。その証拠として、上の絵の岩と前ページの岩を比べると、岩はハッキリ分かるほど小さくなっている。しかも同じ歌川広重が描いている、わずか3年後の事であり上記の推理が成り立つと思うのだが、紙面構成のため一本松にしたのだろうか。個人的な見解である。


下の絵は一本の松。文献『江戸砂子』菊岡沾涼(きくおかせんりょう)編纂(1680〜1747年)
には『一里塚榎一株残れり』とあるので、この頃から松は一本であったらしい、この一本も明治元年頃に伐採されたという。(『南浦地名考』の記述)  別の説では、天祖神社に植え替えられたというが、この木も枯れて今はない。(画は大田区立郷土博物館蔵)( 2015.08.01更新)
 
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