出羽三山(山形県)とは月山、羽黒山、湯殿山の三つの山をさす、古くより信仰された修験道は、江戸時代になると庶民の信仰に移り、三山登拝が行われた。明治以降は羽黒山に信仰の中心が移る。大田区では冨士講、御獄講(みたけ)ほどには知られていないが、馬込には湯殿神社があり、千束には三山信仰を表すシンボルが『西国・板東・秩父百番供養塔』に刻まれていることから、おそらく御獄講の存在があったのであろう。一般に三山信仰は即身成仏のミイラによって知られている。 参考・大田区発行「史話13号」
●鳥居のすぐ後ろに大きなイチョウの木がある、神社の方の話によれば向かって左はメスのイチョウ、右はオスで葉は小さめであるという。
●神社の創建ははっきりしないが、「根古屋谷の鎮守」と言われ馬込村の守り神であった。江戸時代には「羽黒権現社」と呼ばれていた。祭神は国作大己貴命(おおあなむちのみこと)、少彦名命(すくなびこのみこと)である。元はかなりの規模の神社であったらしい。参道の前の坂道を行くと、大田区立郷土博物館がある
。●右の写真は、嶺道から第二京浜国道へつながる道である。大田区立郷土博物館付近から見たところ、右に見えるは、梶原屋敷跡と言われる所。その先の高く見える所が湯殿神社である。耕地整理の結果、真っ直ぐのほぼ2車線の道が出来上がった。住所 大田区南馬込5-18-7