●貴船神社の狛犬について…… 太鼓橋手前にある狛犬は、どちらも口を開けた「子取りの阿像」であり、左は二匹の子供を抱いている。右も子供を足下に抱く阿像らしいが、子供が玉(鞠)にじゃれたような仕草をしているのを見ると吽像を意識した形かもしれない。寄進は明治33年(1900)である。おそらく左右とも獅子形の「子取りの阿像」であろう。 ●貴船神社について 関東大震災(大正14年)で倒壊した前社殿は、文化10年(1813)の建立であった。境内には漁業に関する碑文もあり、漁業関係者の崇敬も篤いと聞く。また、年代ははっきりしないが太鼓橋もあり、由緒ある神社であろう。別当は密乗院であるが『厳正院由緒』によれば、二世法密の頃(1321)の祈雨、止雨にも関係したと伝えられるので相当の古社であろう。羽田街道沿いにあり、江戸・明治・大正・昭和と参詣者が絶えなかった。大田区内の神社で境内に「太鼓橋」があるのは、六郷神社と貴船神社だけと思われる。神社では神域に入るシンボルとして太鼓橋があり、一般の人も渡ることが出来るが、大田区の神社では貴人だけが渡ることが出来る、このことはシンボル的な意味を持つと思われる。■貴船神社の本殿、一間社流造 昭和30年(1955)の建設 右は太鼓橋。 貴船神社でも伝承により第90代亀山天皇が立ち寄られた記述があり、その記念と考えられる
●貴船神社について 関東大震災(大正14年)で倒壊した前社殿は、文化10年(1813)の建立であった。境内には漁業に関する碑文もあり、漁業関係者の崇敬も篤いと聞く。また、年代ははっきりしないが太鼓橋もあり、由緒ある神社であろう。別当は密乗院であるが『厳正院由緒』によれば、二世法密の頃(1321)の祈雨、止雨にも関係したと伝えられるので相当の古社であろう。羽田街道沿いにあり、江戸・明治・大正・昭和と参詣者が絶えなかった。大田区内の神社で境内に「太鼓橋」があるのは、六郷神社と貴船神社だけと思われる。神社では神域に入るシンボルとして太鼓橋があり、一般の人も渡ることが出来るが、大田区の神社では貴人だけが渡ることが出来る、このことはシンボル的な意味を持つと思われる。■貴船神社の本殿、一間社流造 昭和30年(1955)の建設 右は太鼓橋。 貴船神社でも伝承により第90代亀山天皇が立ち寄られた記述があり、その記念と考えられる
●上の写真は合祀された「子育て熊野神社」であろう。稲荷社であり、 旗は貴船稲荷大明神とある、左右に神狐像がある。 ●右写真は、明治5年に大森総鎮守様となったことの祈念碑か。 住所 大森東3-9-19 スルガヤ通り(旧羽田街道)から徒歩でも行ける。 扉に戻る