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道々橋神社前の道はかなりの古道で「鵜ノ木・新田道」や「丸子道」と言われた、左に行くと「筏道」と合流して光明寺、丸子の渡しに行き着く。右に行くと急な坂を下り、呑川の「道々橋」を渡り二股道に出る。二股の左は嶺道で久品仏に行く嶺道で都立荏原病院前のバス通りである。右は「猿坂」を登り夫婦坂を越えて荏原町、中原街道に行ける「目黒道(池上道)」である。
池上方向に行くと「子安八幡神社」「林昌寺」を経て第二京浜国道(国道1号線)に出る。渡って行くと本門寺総門に行き着く、ここが「目黒道」の起点である。江戸からある古い脇道である。江戸時代には幕府領であり、東海道品川宿の助郷(すけごう)や品川東海寺の火消し人足を負担していた。
●道々橋村は、『池上村の小名宿の辺り、および本門寺の背後、馬込村内に三カ所の飛地がある』(大森区史)とあり、本門寺背後とは「道々女木」のことであるらしい、おそらく塚上にあった観音像が第二京浜国道工事で移動して、西馬込駅西口近くで「夢告観音」として奉安されている。
●下の写真は社殿、昭和35年(1960)の建造である。道々橋八幡神社は村の鎮守として正保年間(1644-47)の創建、狛犬の首に注連飾り(しめかざり)をかけている。