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![]() 長栄稲荷社の長栄大威徳天……お稲荷さん ●日蓮宗本門寺には、神仏習合の形として18に及ぶ神々が勧請されている。その一つが当山の守護神として安置されている長栄稲荷の「長栄大威徳天」である。高祖日蓮が佐渡島に配流されたとき、法華経の行者として現れ守護をして、海上の安全など高祖御一生を影から守護したのが長栄大威徳天である。当稲荷社は仏教系稲荷社と言われる。 |
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江戸時代には民間信仰が盛んになった。 現世利益を求める「稲荷信仰」が盛んになり、享保年間(1716-1736)になると、熱狂的な流行神(はやりかみ)の様相を示した。池上本門寺でも長栄稲荷のお参りが、1日の行楽を兼ねた参拝者でおおいに流行ったと言われる。 ●明治から大正にかけて繁栄したが、明治35年(1902)の「風俗画報」などにも賑わいが掲載されている。昭和10年(1935)以降になると長栄稲荷は、法華経信者以外にも霊応を振りまく地神として変化していった。 しかし、昭和11年(1936)に「羽田の長妙講」の鳥居建設をきっかけとして「本門寺境内に鳥居があるのはおかしいと」の声が起こり、その人気にも衰えが始まり、第二次世界大戦の戦火による消失から再建されたが、かつての信仰を取り戻すことはなかった。ついに昭和51年(1976)の境内整備により鳥居も撤去された。 ●写真は現在の長栄稲荷社である。鳥居は石段の上に作られた。 |
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●上の写真は水引虹梁、左右文様は稲荷神社をイメージした稲穂の姿である。 | |||||||||
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