●六郷土手から見た「止め天神」 江戸時代、八代将軍吉宗の乗馬が暴走した時、落馬を止めた神社として有名になった。北野天神社が正式であるが通称を「止め神社」と言う。災いを止める祈りをするため多くの参拝を集めたという。おそらく、当時は現在の数倍の規模があったのではないかと思われる。祭礼の時には六郷橋より提灯が列なっていた。左上は、京浜急行の六郷鉄橋。(写真)右側には道路を挟み公園がある。(下に写真があります)
●天神様の細道……とうりゃんせ・とうりゃんせ 「通りゃんせ」の細道である。七五三さんのお祝いにお札をおさめに歩いたのであろう。止め神社では、「平癒塚」「止め塚」「學成る就塚」の三柱があり、江戸時代には子供の死亡率が高いため、成長の祝いは盛大であった。現在も写真のように新しい御札も掛けられている。難しい歴史背景は抜きにして七五三や学業成就の祈りとして、今でも信じられているようだ。
●上の写真は鶴亀の石、左は「亀は万年」、右は「鶴は千年」である。 もとは力自慢の持ち上げる「力石」で、多くの神社にある。江戸期の行楽が賑わうと共に参拝を楽しませる目的で、縁起のいい石として追加され、安置されたのではないでしょうか。平成3年に写真のように飾られた。●右は道標、日本橋まで4里(16キロ)とある。元の設置場所は不明だが、おそらく、六郷橋の袂ではないかと思う。いつここに移動したか分からない。
●上の写真は鶴亀の石、左は「亀は万年」、右は「鶴は千年」である。 もとは力自慢の持ち上げる「力石」で、多くの神社にある。江戸期の行楽が賑わうと共に参拝を楽しませる目的で、縁起のいい石として追加され、安置されたのではないでしょうか。平成3年に写真のように飾られた。