●江戸時代、文化4年(1807)から天保5年(1834)にかけて江戸近郊を散策した記録に、村尾嘉陵(徳川清水家の御広敷用人)の『江戸近郊道しるべ』がある。その中に千束池を訪ねた記載がある。まさしく浮世絵が描かれた視点である。歌川広重もこの文章を参考にしたのであろうか。(大田区立郷土博物館蔵)
●画面中央に日蓮が袈裟を掛けた松が見える。当時の松は枯れてしまった、そばに枝振りの良い別の松が植えられている、この松は5代目にあたるらしい。 写真上の右は「妙福寺」、通称は「御松庵」という、境内には色々な石碑がある。千束池は現在では「洗足池」と表示されている。どちらのいい方が正しいかは別にして、むかし千束、いま洗足が一般的らしい。村尾嘉陵も今の平河町あたりの家から歩いて洗足池まで行っている。江戸時代の人は本当に健脚である。 ●村尾嘉陵(宝暦10年〜天保12年(1760〜1841)は、清水徳川家の家臣である。歩き回る事が大好きであったらしく、江戸近郊の名所旧跡を訪ね歩いた。詳細の日記を書いて残した。後に『江戸近郊道しるべ』が表され、東洋文庫に収蔵されている。現代語訳が講談社学術文庫から『江戸近郊ウオーク』として出版されている。