弁慶が勇力戯れに三井寺の梵鐘を栄山に引き上げる図ー「弁慶の曳摺鐘」

国芳の大胆なことは、絵になる面白さを見つけると、どんなに奇抜であれおし進めることである。誰が鐘をこんなに大きくするか。三枚揃いで見ないと絵にならない。版元も団扇問屋の射場仙で、「荷宝蔵壁のむだ書」の版元である、国芳の面白さに目をつけ賭けた版元である。この絵は、比叡山と三井寺が争った伝承に題材をとっている。国芳特有の筋肉表現がおもしろい。
 
  三井寺の伝承では『 当寺初代の梵鐘で、奈良時代の作とされています。 むかし、承平年間(十世紀前半)に田原藤太秀郷が三上山のムカデ退治のお礼に 琵琶湖の龍神より頂いた鐘を三井寺に寄進したと伝えられています。その後、山門との争いで弁慶が奪って比叡山へ引き摺り上げて撞いてみると ”イノー・イノー”(関西弁で帰りたい)と響いたので、 弁慶は「そんなに三井寺に帰りたいのか!」と怒って鐘を谷底へ投げ捨ててしまったといいます。 鐘にはその時のものと思われる傷痕や破目などが残っています。』(三井寺ホームページより)とある。(注)田原藤太英郷を俵藤太秀郷と表記している本もある。

「弁慶が梵鐘を引き上げる図」一勇斉国芳 版元・伊場仙 伊場屋仙三郎 弘化2年から3年(1845-1846)東京国立博物館蔵

 

歌川国芳の奇想 影絵とシルエット


「其面影程能写絵 たいこもち」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・浜彌兵衛 衣笠房太郎 版元・上総屋岩蔵 弘化4年から嘉永年間 拡大表示 東京国立博物館蔵

「其面影程能写絵 弁慶」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)名主印・浜彌兵衛 衣笠房太郎 版元・上総屋岩蔵 弘化4年から嘉永年間 拡大表示 東京国立博物館蔵


影絵の作り方、ピンク色が光源で、
手に持った 人形にあてると後ろの
障子に影が出来る。

歌川国芳の影絵
 江戸時代では、障子に影を映して影を作り遊んだ。右は歌川国芳の影絵である。2枚の浮世絵で構成されている、シルエットの影絵と影を構成している人間(弁慶)と鐘である。

  また、国芳は影(シルエット)を効果的に使う絵師である。背景にシルエットを配し、前景を強く押しだし印章を強くする。例えば「東都御厩川岸之図」があげられる。それ以外にも効果的に背景に使われている絵が多い、「駒形の朝霧」(下にあり)、「大物之浦平家の亡霊」が有名である。他の浮世絵師と違い、国芳はシルエットの使い方が計算されて、現代アートに繋がるほど上手いと思う。

「浅草奥山生人形」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)改印・安政2年(1855)4月 版元・井筒屋 彫り・彫津下庄司 国立国会図書館デジタル化資料
 安政2年に浅草寺で観世音の開帳の折に奥山で興行された生人形。制作は熊本生まれの松本喜三郎31才である。この年の10月2日に安政大地震が起きた。国芳は、実際に見て描いた。国芳は見事に生人形の表情・質感を描いている。

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