歌川国芳の浮世絵は江戸時代の劇画である、屋根の上で丁々発止
画題「八犬傳之内芳流閣」一勇斉国芳(歌川国芳)版元・泉市 和泉屋市兵衛 天保11年(1840)大判3枚揃い 東京国立博物館蔵  
東京国立博物館蔵・http://www.tnm.jp/
浮世絵
『南総里見八犬伝』屈指の名場面放流閣の決闘である。

 この物語は、文化11年(1814)に始まり、驚くなかれ28年掛けて完結した偽作文芸の大作である。作者はお馴染み滝沢馬琴で江戸伝奇長編小説の代表である。全98巻、106冊を書いた馬琴は48才から始め、完結したのは75才であり生涯の大半を費やした。『水滸伝』から強い影響を受けており、日本的に改編した勧善懲悪の物語である。当時の儒教的道徳にマッチして広く読まれた。もちろん貸本業者の稼ぎ頭である。
 場面は利根川にある三層の物見櫓「芳流閣」である、その急勾配の屋根で義兄弟と知らず戦う場面は、八犬伝でも名場面と言われ歌舞伎の演目となっている。

国芳の奇想は屋根の勾配をあり得ない傾斜にしたことである、落ちまいと必死にしがみつく人の姿は、剣を交えなくても見る人に息を呑む緊張と興奮を与える。絵の中に微妙な動きを持ち込んだのは国芳である。彼の構成力と動きを創る才能は奇想天才の一人である。国芳の弟子で師と同じような奇想の才を持つのが月岡芳年である。右の絵はそのことを充分に証明している。
浮世絵

画題「芳涼閣両雄動」絵・月岡芳年 版元・不明 明治20年(1887)大判竪二枚(47センチ×32センチ)東京国立博物館蔵
拡大表示


月岡芳年は大判竪2枚が得意な絵師である。師匠国芳と同じく2枚で完成する構図である。動きは2枚で始めて緊張感のある動きが出来る。右の絵は国芳も同じ構図を安政時代に出している。

月岡芳年は静謐な画面構成も得意らしく、「月百姿」は画題を歴史題材に多くを取っており静謐な緊張感溢れる浮世絵である。その完成度は高く、芳年は最後の浮世絵師と言われる。

浮世絵 浮世絵

月岡芳年の代表連作「月百姿」
 猛火の前に微動もしない火消2人。題名は「煙中月」1886年 国立国会図書館デジタル化資料所蔵
東都◯◯之図は、天保の改革による風景画への移行か

雨の浮世絵

「東都御厩川岸之図」一勇斉(歌川国芳)版元・山口屋藤兵衛 天保年間初期 東京国立博物館蔵
 
歌川国芳は、かなりの凝り性であり粘着気質である。厩橋の川岸は土砂降りの集中豪雨である。地面から跳ね上がる雨の様子まで表現している。雨の表現も大きく2種類ある。雲や空の処理は洋風であり、背景のシルエットは板ぼかしを使い巧妙に遠近感を出している。この雨には彫師も摺師もうんざりしたことだろう。このシリーズは5図確認されている。
浮世絵

「東都宮戸川之図」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)版元・山口屋藤兵衛 天保年間初期 東京国立博物館蔵 拡大表示

宮戸川は、現在の隅田川河口付近である。江戸時代には浅草大川河口と言われ、海水と淡水の混じるところである。絵は「うなぎ掻き漁」の様子を示し、背景には、筑波山と屋根舟の舳先を描く。ここで捕れたウナギは、浅草で食された。漁師が持つ棒の先端にはウナギが見える。
浮世絵




拡大表示
「東都首尾之松図」絵・一勇斉国芳(歌川国芳) 版元・山口屋藤兵衛 天保年間初期 ボストン美術館蔵 拡大表示
  首尾の松は、浅草蔵前の隅田川にあり
吉原に通う 舟の目印になっていた。下は広重の「首尾の松」である。
浮世絵

「東都三つ股の図」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)
版元・山口屋藤兵衛 天保年間初期 ボストン美術館蔵
 拡大表示

現在の日本橋あたりから、佃田島方向を見たところ、右の橋は永代橋、左の小さく見えるのは万年橋である。一時話題になったスカイツリーらしき高い塔は、井戸掘りの櫓らしい、勿論こんな高い塔はあり得ない、国芳の創作か。船の底を焼いて焦げを作り、船底の腐食を防ぐ。

「東都橋場之図」絵・一勇斉国芳(歌川国芳)版元・山口屋藤兵衛 天保年間初期 ボストン美術館蔵 


『東都○○之図』と『東都名所シリーズ』について……
  天保14年(1843)に言い渡された「天保の改革」により、大雑把に言えば『禁忌・好色本、歌舞伎役者の似顔絵、遊女・女芸者、狂言、女子供を大人に例える戯画、賢女烈婦伝類など遊興奢侈を煽るものを禁ずる』、それらを錦絵に描くことが禁止された。困ったのは版元や絵師達である。それまでの稼ぎ頭であった全てが禁止である。考えたすえに彼らは風景画に活路を求めた、国芳も摺り数が8回と制限されたため、色や摺りに工夫を凝らした。背景の板ぼかしによる単純かなども一つの工夫である。また、彫師の負担も考え西洋風の画面構成も試した。それが「首尾の松」図である。この大胆な構成画面が当時の江戸庶民に受けたのだろうか、現代から見れば芸術(アート)かも知れないが、評判になるのはやや無理だったのではあるまいか、おそらく売れ行きも良くなかったのではあるまいか。版元も国芳も活路を求めて必死だったのでないだろうか。

 特に『東都橋場之図』は、題材の選びも分からないし、平凡な画面構成で国芳らしくない。(私見)

トップ扉に戻る 幕末浮世絵目次 江戸ー奇想 北斉目次 国芳目次 芳年目次