ー石造り狛犬の歴史……鎌倉から始まり、最盛期を迎えた江戸時代ー
   
石造り狛犬について……
 


奈良時代……
我が国で一番古い石造り狛犬は、奈良・東大寺南大門の狛犬である(定説)
 
建久年間(1190〜1199年間)に、宋人鋳物師「陳 和卿」が大仏修理時に造ったものである(東大寺造供養記)。この狛犬は、石も中国から運んだものであり、その姿は角張った顎、台座の蓮華、雲文などの宋の様式を示している、つまり全体に姿も唐獅子風である。特徴的なことは、阿吽の形式ではなく左右とも口を開けた同じ姿(阿像)である。

 この中国風の石造り狛犬は、我が国の狛犬に与えた影響は大きかった。住吉神社(大阪市住吉区住吉町)、車折神社(京都市右京区嵯峨朝日町)、弥彦神社(いやひこ神社・新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦)などがこの狛犬を模範としている。


写真は、蒲田八幡神社の新しい狛犬、東大寺の南大門狛犬の立ち姿を受け継ぐ狛犬

 

 

鎌倉時代……日本型狛犬へ発展
 
  鎌倉時代後期には、中国型狛犬から日本独自の狛犬へ変化が始まった時代である。その姿の特徴は、胸を張り肩を怒らした逞しい獅子(狛犬)である。武士の力強さを表現したものとして武士階級に好まれた。新しい狛犬像が生まれたのである。また、鎌倉時代頃に「獅子・狛犬」を左右に位置することも決められたようだ。「左に獅子、右に狛犬」を置く、左の方が上位となり、「その決めごとは雅楽に関係する」と上杉千郷氏は推測しておられる。ここで注意しなければならないのは、狛犬の左右は神前から見ての「左、右」であり、参道の我々から見た場合には反対になる。鎌倉時代には、唐獅子を祖先に持つ獅子の姿も、中国的なものから日本的なものに変化していった。
 
随身門…神社の外郭の門、左右に兵仗(へいじょう)を持った神像が置かれた。俗に矢大神、左大神と言われた。この大神の替わりに狛犬が置かれるようになったらしい


室町時代……現在に近い形になる
 
  この時代、神社に随身門が造られるようになると、その殿外に狛犬をおく必要から石造狛犬が造られるようになった。石造狛犬の普及である。また、随身門がなくても本殿の外に狛犬が置かれるようになった。
 鎌倉・室町時代を通じて石造狛犬の現存数は少なく、日吉神社(岐阜郡安八神戸町)の狛犬は、天正5年(1577)の銘文があり国の重要文化財に指定されている。室町時代、狛犬の姿は優しい姿に変化してゆく。おそらく室町後期に狛犬は、現在のように神社境内に置かれるようになったと思われる。


六郷神社の狛犬大田区最古である、犬の狆(チン)みたい是非一度は御覧ください。

江戸時代……平和になった時代に大きな変化がおきる
 
  江戸時代は狛犬にも大きな変化が見られるようになる。一番大きな変化は、奉納者が武士階級などの特権階級から、神社の氏子(うじこ)や裕福商人など一般大衆に広がったことである。  背景として、一つは庶民が裕福になり神社に奉納の機運が生まれた、その理由として、寺社への灯籠や宝篋印塔などの石造物は武士などの特権階級しか認められていなかった。そのために一段と価値の低い狛犬が、神社へ奉納の対象とされたのであろうと考える。
 
 二つ目は、江戸時代になり戦乱の世から太平の世に移るに従い、民衆の中に産土信仰(うぶすなしんこう)が浸透していったことがある。産土信仰とは「生まれながらに守ってくれる土地の神様」のことである。自分が生まれた土地を守る神は産土神といい、その地に生まれた人は産子(氏子)である、氏神と氏子も同様な意味に使われていた。また鎮守神(ちんじゅかみ)といわれるのも同じであり、自分たちの守り神として崇敬が生まれたのであろう。


別の説では……
 別の意見もある、寛永13年(1636)の日光東照宮造営に大名が狛犬を寄進した事実がある。このことを江戸庶民が真似て始まったとも言われている。商人達が氏子である地元の神社に寄進を始めたと言う。

庶民の奉納は狛犬の姿にも変化をもたらした。
室町時代後半から始まった優しい姿がより進化したのである。石工は想像上の獅子の姿が分からず、色々な姿を作り上げた、何を見て真似たのか、表情がユニークなり庶民的になった。石工(いしく)の腕に任せたような個性ある狛犬が造られたのである。(右参照・江戸時代の小型犬狆)


  江戸時代の初期の頃は特にユニークである。その例は大田区にもあり「六郷神社の狛犬(江戸期)」(右写真)がその良い例である。まったくの私見だが、この六郷の狛犬は、唐獅子をモデルにしたのでなく、江戸で流行った狆(チン)などの犬をイメージしたものと考えている。
(私見)

江戸時代、犬は想像以上に人間の友である。
 
  第2章から、「本木村」化物騒動に化け物に立ち向かう犬の話がある。私を含め現代人は、犬を人間の友達、温和しいペットの様に考えている。ところが、この話には化け物に激しく吠え、飛びかかり噛みつく犬の様子が記されている。本能的に大きな敵にも飛びかかる獰猛な姿である。江戸の人々にとって犬は想像以上に同志であったのである。その姿を狛犬に託したと考えたい。(『江戸の妖怪事件簿』田中 聡著 集英社 2007年刊)

 化け物事件は、貝原益軒が編纂し、宝永6年(1709)の『筑前国続風土期』に記載されている。宗像郡本木村(現在の福岡県福津市の山村)で起きた話である。
 
目撃された化物は、野狐とも狸とも見たことのない獣で、二つ連れだって吉野山から、大山へと帰っていったという。福岡藩主より化け物退治に犬2匹を拝領する、犬は化け物に挑み、噛みつき、傷だらけになって戦った。最後に死んでいる化け物が床下から発見された。13年後の宝永4年(1707)7月18日、保存していた化け物の骨と退治の経過が藩主に報告された。この報告が貝原益軒に取り上げられ記録された。
 
江戸時代、『犬は妖異のものから人を護ってくれる』と信じられていた。そのため、獅子・狛犬は現実の犬に似て造られた。江戸時代中頃には、長崎出島から渡ってきた犬の種類も多く、小型犬から狩猟用の大型犬まで揃っていた。


大田区の地理的位置から、江戸時代に狛犬の製作する石工(いしく)も奉納(寄進)する人も、芝高輪の伊皿子村の神社や日光東照宮の唐獅子を参考にしたと想像する。その例として伊皿子村の石工「和田五兵衛」が万福寺の石塔など作っている。また御嶽神社に合祀されている神社も、芝高輪の神社である。私の想像では、唐獅子そのものは古来より知られていたが、彫刻された狛犬を見る機会は東照宮が造営されるまで、江戸庶民にはあまりなかったように思われる。

 大田区の馬込地区は、三代将軍家光より増上寺の寺領とされ、明治維新まで続いた。狛犬奉納にも増上寺の許可が必要であったと考える、色々とアドバイスも受けたのかも知れない。

  江戸末期には、「子持ち狛犬(子取りの狛犬)」「玉に足を掛けたもの(玉取の狛犬)」が出始めた。特に大田区の狛犬は子供を抱えている姿が多く見られる。その例は大森にある磐井神社の狛犬が、阿吽像共に3匹の子供を抱いている。子沢山の狛犬である。これは大正・昭和初期の「産めや増やせや…」の軍国主義の時代の影響を受けていると考える。


また江戸時代中期から、台座に奉納者の名前や年月日、石工の名前を刻印することも一般化したのではないかと言われている


明治時代の変化……
 
   明治になると神社が神仏分離による神道の復活により、別当であった寺からの独立、神社の格付け、神社の由来の見直しなどで、当該神社にふさわしい狛犬を鎮座する傾向になった。

 明治時代から台座が高くなり始め、一段だった台座が二段になった。現在では初期の台座に1メートルほどの石組み台座を造りその上に乗せる三段になった。高くなった理由は、地面から雨の跳ね返りによる浸食を防ぐためだったらしい。江戸時代には、人間の腰ほどの高さであったのが、現在では見上げるほどの高さになった。この例が、大田神社浅間神社(多摩川)に見られる。

  明治の戦時には「武運長久」などの戦勝を祈る奉納が始まった。この傾向は大正・昭和と戦争が終わるまで続いた。この狛犬は、護国狛犬とも言われ蹲踞(そんきょ)して背筋を伸ばしたスタイルである。この狛犬の原型のひとつとして、大正5年(1916)新潟県西神原郡弥彦村の「弥彦神社」の狛犬があげられる。俗称「伊藤忠太狛犬」と呼ばれる。大田区では西蒲田の「御園神社」にこの形に近い狛犬が
いる。

 大田区でも第二次世界大戦の空襲による戦災で、狛犬は火災の熱で劣化、焼夷弾によるためか黒ずんだ姿、耳や足などの欠落した姿が見られる。


戦後の狛犬……
 
  俗に「昭和狛犬」と言われる均一化が目立つ、機械彫りや同じ石工店の製作になり没個性の狛犬が出現した。石を削る機械の登場は、石工の腕を昔のように必要とせず均一化をもたらしたのである。大田区でも昭和30年頃から機械彫りが始まり、同時に石工名を彫らなくなったと言われる。現在は狛犬の製作は中国で行われ、輸入されているという話である。日本の神社を中国の狛犬が守る、皮肉な現象である。

参考(『狛犬事典』上杉千郷著 戒光祥出版(株)発行 2001年) 他・参考書。

(注)狛犬は仏教の伝来と共に入った、平安時代には「木彫りの狛犬」が多く、「石造りの狛犬」は鎌倉時代からである。これ以外にも「陶器製の狛犬」「金属製の狛犬」があるが、私が調べて写真に収めているのは、大田区の「石造り狛犬」だけである。

池上本門寺五重塔より力道山の墓に向かう途中手前に
狛犬の守る墓がある。蹲踞スタイルで守っている。

池上本門寺 車坂頂上脇にある星亨の墓にある線香置き、獅子が横たわっており、その背中に線香を置く網がある。

 

 
写真 星野 亨

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