ー宝塔を見下ろす高い位置にある紀伊徳川家の墓域ー
2008.12.25
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宝篋印塔説明
 
  右から「養珠院 」(ようじゅいん)お万の方(1580〜1653年)、二番目「妙操院」(みょうそういん)家斉の側室・梶久三郎勝俊の娘(不明〜1832年)、三番目「天真院」(てんしんいん)光貞正室・天真院 安宮照子女王(伏見宮貞清親王女)(1625〜1707年)、四番目「瑤林院」(ようりんいん)正室・加藤清正の五女、熱心な日蓮宗信者であった。(1601〜1666年)、五番目「寛徳院」(かんとくいん)正室・伏見宮貞致親王の王女(真宮理子女王)(1691〜1710年)。


紀伊徳川家は、家康の側室「お万の方」が徳川頼宣(家康の第八子)を生み、紀伊徳川家の藩祖となった。頼宣は加藤清正の娘「瑤林院」を正室に迎えた。彼女は熱心な日蓮宗信者であったため本門寺に墓が造られた。江戸藩邸でなくなった内室が葬られている。

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紀伊徳川家の墓域
宝塔裏側の斜面にある広い墓域である。大田区の文化財である
奥から見た紀伊徳川家墓域、左側に宝塔より上がる坂がある。その斜面にあるのが左側の墓石達。これらは、おそらく家臣達であり死んでも主人の側に葬られたいと考えると、なにかほほえましくもあり、主従の関係を考えさせられる。  
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