江戸末期の神社建築装飾 自性院の牛頭天王堂(ごずてんのうどう)
牛頭天王堂
自性院(じしょういん)(寺号 本覚寺)の境内に移築された大田区指定の文化財、建築装飾過剰気味の江戸末期神社で、名称は牛頭天王堂 文久元年(1861)の棟札から荏原郡下袋村の大工棟梁・稲葉音治良・信重の仕事と分かる。

寺伝によると平治元年(1159)頃という、正しいとすると羽田最古の寺院となる。

牛頭天王堂
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牛頭天王とは素戔嗚尊(すさのおのみこと)であり、京都の八坂神社(祇園社)は牛頭天王社・祇園天神・武塔天神などと呼ばれて、北野天満宮と並び京都有数の神社として発展した。素戔嗚神社は日本各地にあり、明治までは牛頭天王社と呼ばれていた。素戔嗚は進雄、須佐男、素戔雄とも書かれ神社名にもなっている。東京都・荒川の素戔雄神社は「江戸名所図絵」にも描かれて有名である


 ↑●弁財天(天女)と龍の妻飾り 拡大表示
水引き虹梁の上にある妻飾り。乙姫様の弾く琴に聞き惚れるような龍の彫物。波の上に配置されている

↓●
横から海老虹梁とその下の手挟、木鼻の龍、拳鼻を見る

写真 牛頭天王堂
牛頭天王堂牛頭天王堂
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向拝柱に巻き付く龍の宮物彫刻(堂宮彫刻)、
おそらくケヤキの彫り物。
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牛頭天王堂

 ↑●手挟(てばさみ)構造的よりも装飾的に作られた。彫られている霊獣は飛龍(ひりゅう)である。水を祀る霊獣、顔は龍に似ている、鯰のように二本の髭(ひげ)を持つ、胴体は短く羽を持つ、不思議なことに尾は魚の尾鰭である。波の中に配置される。←拡大表示

写真 牛頭天王堂
写真 牛頭天王堂

上の二枚は、頭貫と内法貫(うちのりぬき)の間の彫刻、霊獣の犀、本殿左側から右側へ進んでいる。左上は振り返る犀、背景は波、顔には顎髭(あごひげ)がある。拡大表示



↑●唐破風下の妻飾り霊獣の鳳凰(ほうおう)

 上の二枚は蟇股、上・雀に竹、下・鷹に松彫刻により装飾化された蟇股である。

下は拳鼻(こぶしばな)、ここでは装飾的な木鼻を拳鼻としています。写真は霊獣の獅子である。

牛頭天王堂は、前の弁天神社で三輪厳島神社の社務所の所にあった。昭和4年(1929)現在地に移築された。写真で分かるように彫刻はかなり手の込んだものである。この彫刻は、江戸末期の装飾過剰と思われる彫刻である。上の写真の獅子は舌が彫られており、阿吽の対になっているようだ。


↑●向拝柱の籠彫持ち送り、波に水鳥(おそらく鴨)
住所 大田区本羽田3-9-10 
産業道路六郷橋そば、左隣には羽田神社がある。

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