ー江戸小袖を持ち込み、朝廷と幕府の絆となった東福院和子ー
江戸時代の組香十組盤は京からもたらされた優雅な遊び 

徳川和子
徳川和子(1607〜1678)は徳川秀忠の五女である
 
元和6年(1620)に幕府と朝廷を繋ぐため後水尾天皇へ女御として入内する。それまで色々ともめ事があったが、この婚姻は和子の祖父家康が決めたことであり、香道好きだった家康が、同じく好きだった和子の性格をわかっていたのだと、勘ぐりたくなるような人選である。

  最初こそ軋轢はあったようだが、和子は新しい風を宮中に吹き込んだ。宮中に小袖を着用する習慣を持ち込んだのも和子であり、尾形光琳・乾山兄弟の雁金屋に女官達全ての小袖を発注した(寛文小袖と言われる)。写真は『白綾地秋草模様小袖(しろあやじあきくさもようこそで)』重要文化財 一領 身丈14605×桁64.0p 東京国立博物館所蔵 
 別名「冬木小袖」と言われ、江戸の材木商「冬木家」の妻女のために作られたと言われている。江戸で生まれた小袖が京都の意匠をまとい優雅に生まれ変わった。江戸の大奥や裕福な商人に熱烈に受け入れられた。京の雁金屋は江戸でも大きな商売になった、後に華やかな元禄時代が生まれる。

  茶道にも熱心で、野々村仁清に焼かせた長耳付水指(三井記念美術館蔵)もあり芸術的センスがあったようだ。京都の町衆にも受け入れられ、和子の押絵は人気でお茶の千家には多数の押絵があると伝わる。

 東福院和子は「衣装狂い」だったのか……
  『毎年、東福院には、幕府から多額の金銭援助があったことを確認することができる。寛永十五年の「大内日記」には、毎年金二千両が遣わされていたと記載されており、(中略)女院御所として、毎年江戸から金子千両ずつが遣わされ、そのほかに銀三百貫目、御賄方入用の米千六百石、「被召仕衆御切米」三千七百石と記載されている。呉服屋雁金屋の主である尾形家は、近江国小谷城主であった浅井長政の家来筋といわれ、その縁で長政の娘である淀殿(茶々)・常高院(初)・崇源院(お江与)の三姉妹から贔屓にされた。お江与の娘である東福院もまた、雁金屋を贔屓にした』『和子が自分の着用分の呉服と、自分に仕える女官たちの小袖(こそで)をまとめて注文したことがわかる。』(『徳川和子』久保貴子著 日本歴史学会編 吉川弘文館 2008年刊)

  その御遣い小袖が四十五領とあるように、東福院は若い頃から衣服を下賜することが多かったようである。そこから、下賜された小袖が町方にも広がり、そのことによって女院御所から小袖染色の流行が生まれたと推測される。(『本朝世事談綺』)

 京の呉服商雁金屋に残された文章には、当時、経済力に乏しかった天皇家に生家の財力を活用した。もとから雁金屋は浅井長政の家来筋と言われ、三姉妹から贔屓にされた。彼女らが嫁いだ婚家からも注文を受け、徳川家諸藩・松平家や江戸城大奥からも莫大な注文を受けた。



「十組盤ー鷹狩盤」江戸時代 寸法46.2×46.2センチ 東京国立博物館蔵(以下も同館所蔵)

組香とは何か……室町時代頃伝わる香道を楽しむ遊び
  古くの組香とは、『香と文学との融合である組香は香の雅趣 を楽しむと同時に遊戯性、競技性が加わる。すなわち、数種類の香を一定の文学的主題を表現するように組み、その組み方や香を鑑賞するとともに、聞き当てた数を競う一種の香のゲームである。このような匂いのゲームは世界に類例をみない、わが国独自の文化である』(『香と香道 第四版』香道文化研究会編 雄山閣 2004年刊)、このように雅な香り高い貴族的な遊びであった。しかし江戸時代になると大衆化してゲーム性の高い「十組盤」ゲームになったのではなかろうか。



和子に香道を指南したと言われる米川常伯は、禁裏御用達の紅商人であったらしいが、建部隆勝・坂内宗捨の香道の流れを汲んでいると言われた人物である。和子は彼と共に趣向を凝らした組香を考案して女でも楽しめる遊戯性の高い盤物を造ったらしい。「競馬香」・「名所香」・「矢数香」などがそれである。京都では和子が東福門院になり、江戸でも香道がブームとなった。それを表す葛飾北斎の摺物「馬尽競馬香」錦絵がある。(写真・東京国立博物館蔵)

左は競馬香の写真、右は葛飾北斎の摺物である、「競馬香」の集まりが江戸のあった事を示す証左であり、狂歌が添えられている。「馬尽 競馬香」不染居為一筆(葛飾北斎)20.5×18.2センチ、文政5年(1822)神奈川県立歴史博物館蔵


 
徳川和子と香道 『香についても、「无上法院殿御日記」」の寛文十二年十月二十七日条に記載がある。この日、禁裏のお茶の口切りで、法王と東福門院のほか、女性皇族が禁裏に集まった。このおり、霊元天皇と明正上皇、東福門院、品宮、それに六人の女房衆で、十種香を行ったところ、東福門院だけが十点満点だったというのである。東福門院が、入内後、公家社会にいかに溶け込むために精進したか感じさせる記事である』(『徳川和子』久保貴子著 日本歴史学会編 吉川弘文館 2008年刊)

わずかに残された盤
十組盤 相撲香 十組盤 舞楽香

写真の十組盤はいつ成立したのだろうか、資料によりまちまちで「競馬香」の後に成立したとの説もあるが、室町時代の題材である正当な組香の十組香があり、遊戯性の強い、より簡単な競馬香が生まれたと考えるほうが自然である。京の徳川和子より大奥に伝わり、そこから武家・大名の大奥に、また裕福な江戸町民にまで広がったと推察される。
 
十組盤 六義香
 
十組盤 蹴鞠香 十組盤 呉越香
十組盤 龍田香 十組盤 花軍香
十組盤 闘鶏香 十組盤 吉野香

上記の十組盤は、東京国立博物館と徳川美術館に10種類揃いが収蔵されている。


上記以外にも「花笠香」という十組盤があると言うが、「瀧田香」と同じ物を示すのか不明である。お香を楽しむ部屋 in浜松のブログによれば、『「三組盤とは『競馬香』『名所香』『矢数香』の3種類の代表的な盤物を1つの箱の中に収納できるように、じつによく考えられた江戸細工である。』と記述があった。個人的な推量だが、「吉野香」とは南北朝時代を表している。「六義香」「呉越香」「龍田香」は判らない。

シーボルトコレクションの十組盤について
今年日本で開催されるシーボルトコレクションの紹介を、NHK・日用美術館で紹介していたが、その映像の中に香盤が映っていた、コメントはないので詳しい事は分からないが、1988年に日本・オランダ修好380年記念して開催された『シーボルトと日本』の展示品は見ていないが、カタログには載っていない。シーボルトがこの香盤 をどういう経緯で手に入れたか興味のあるところである。


参考図書
『香と香道 第四版』香道文化研究会編 雄山閣 2004年刊
『美の壺 香道具』「美の壺」制作班 日本放送出版協会 2010年刊
『香と香道』(第四版)香道文化研究会編 雄山閣 2011年刊
『香道の歴史事典』』神保博行著 柏書房 2003年刊
『香道への招待』北小路巧光・北小路成子著 淡交社 平成16年
『徳川和子』久保貴子著 日本歴史学会編 吉川弘文館 2008年刊

 
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