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![]() ●画中には「陸奥守殿より献上 赤婦生ノ地取」とある。弘前藩津軽家から献上された鷹を、御用絵師狩野栄川古信(1716〜1731)が描いた下絵か。木挽町狩野家5代目。 |
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![]() 葛飾北斎団扇絵「鷹」
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●「権八と小紫」絵・玉川文浪 版元・江崎屋吉兵衛 (注)玉川文浪としているのは、ロシアのプーシキン美術館である、詳しいことは不明である。文浪は江戸後期の浮世絵師で喜多川歌麿をまねた画風で知られる。東京国立博物館蔵 |
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●喜多川歌麿の代表的『狂歌絵本』三部作 |
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●鶴に飛びかかる鷹二羽である。将軍の「鶴御成」を描いたものであろう。将軍家の鷹狩りでも正月の「鶴御成」はめでたい行事であり、鶴は内裏への献上や御三家や大名への下されものとして鶴が振る舞われた。(参考『鷹と将軍 徳川社会の贈答システム』岡崎寛徳著 講談社 2009年刊) |
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歌川広重の名所江戸百景『深川州崎十万坪』 将軍に復興の願いを託す絵 |
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![]() ●関根雲停が描く鷲 関根雲停(1804〜1877)は幕末から明治にかけて活躍した画家である。田中芳男が「博物雑誌」第一号に雲停翁小伝として記している。それによると『関根雲亭通称を(栄吉)は、江戸四谷に生れ、幼い頃から体質が虚弱で絵を好み、大岡雲峰に弟子入りして絵を学び、花鳥図を得意とするようになる。大名旗本は争って雲停に絵を頼み、特に富山藩前田利保はその絵を賞賛した、描かれたものは花卉が多く、本草家(当時の植物学者)にも重用された、外国人に寄贈するために絵を描くこともあった。』質素な身なりを気にせず、身分の高い人の前でも平然と植物画や生物画も描いたが、その絵は写実により正確で素晴らしく、大名・旗本などからの注文が絶えなかったという。花鳥画の一枚絵は、裕福な町民の掛け軸となったようである。左の下絵も正確で素晴らしい。東京国立博物館蔵 |
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参考図書 『鷹と将軍 徳川社会の贈答システム』岡崎寛徳著 講談社 2009年刊 『新版 大森風土記』杉原庄之助著 昭和10年刊 私家本 太田図書館蔵 『太田区史 中巻』 (第五節 品川筋御鷹場 根崎光男筆)新倉善之編 大田区刊 平成4年 『小松菜と江戸のお鷹狩り 江戸の野菜物語』亀井千歩子著 彩流社 2008年刊 『御鷹場』』本間清利著 埼玉新聞社 昭和56年刊 『多摩と江戸ー鷹場・新田・街道・上水ー』大石学編 けやき出版 2000年刊 |
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●国立国会図書館 ●東京国立博物館 図譜目次 |
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