●栗本丹州(1756〜1834)は、江戸時代中期から後期にかけての医師(幕府の医者)であり、江戸の博物家田村藍水の次男から本草家栗本昌友の養子となる。名は昌蔵(まさよし)、通称は瑞賢と称す。寛政元年(1789)に奥医師(幕府の御殿医)となり、文政4年(1821)に法眼から法印(瑞仙院)になる。幕府の
医学館で教える。医学館(明和2年)とは、幕府が神田佐久間町に開いた漢方医学校である。寛政3年(1791)に幕府直轄の医官養成校となる。著作は日本で最初の昆虫図説『千虫譜』(彩色写生図集)や魚類図巻の『魚介譜』(栗氏魚譜)が有名である。また幕府若年寄堀田正敦や蘭学者大槻玄沢などとも親交があった。
『鳥獣魚写生図』について……
国立国会図書館デジタル化資料
軸−1,「海鴎」ウミネコ(2才か成鳥)、下の絵、セグロカモメかオセグロカモメらしい、画中にはオキノバカザウと記載されているが、これは水府(水戸)地方の方言である。
軸−2,「豪猪、山アラシ」ジャワヤマアラシ
軸−3,「雷獣、オオカミ」又は野犬か、画中には「元文2年(1737)7月17日、武州岩槻領掛村」とある。
軸ー4、「ウチワ漁」ウチワフグ
軸−5,「沖マンザイ」マンボウ
(画は全て国立国会図書館デジタル化資料 )