笠間藩牧野家(8万石)は譜代大名である。4代藩主として牧野貞幹(1747〜1828)は幕府の奏者番を勤めた、優秀であったと思われる。牧野家は延享4年(1747)から明治4年(1871)まで笠間藩を治め、明治には子爵となる。牧野貞幹は42才の若さで死去した、藩主のままであった。忙しい政務の合間に、本草学の分野では『鳥類写生図』(4巻)『草花写生』(8巻)を自身の写生で残した。
『鳥類写生図』4巻では、200種類の鳥を描き、その図には羽の特長を書き添えるなど本格的な図譜である。また、『草花写生図』では284点の草花を描いている。
常陸笠間藩の下屋敷は、日本橋浜町に有り、浜町には狩野家がある。譜代大名の藩主である彼は、望んで絵師の絵の手ほどきを受けたであろう。彼の絵は素直な筆順であり、絵師に習った確かな筆運びを感じさせる。