尾張藩馬廻組藩士・高力猿猴庵が描いた『姉羽鶴之図』自筆 |
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●日本書紀に記載された2番目の記録は、天武天皇の682年9月18日、『灌頂旗(かんじょうばた)のような形で、火の色をしたものが、空を浮かんで北へ流れた。これはどの国でも見られた。「越の海(日本海)にはいった」というものもあった。この日、白気(はっき)が東の山に現れ、その大きさは四囲(一丈二尺=4.6メートル)であった』(日本書紀・28巻 天武天皇)。古代の人々は、見たことのないオーロラにびっくりしたことであろう。一番目の記録は、620年12月30日に『天に赤色の気(しるし)が現れた。長さは一丈(約38m)あまり、雉(きぎす)の尾のようであった。』である。国立国会図書館デジタル化資料 『日本書紀』全文検索 ![]() ●高力猿猴庵の『猿猴庵随観図会』は、明和4年(1767)から明和7年(1770)のオーロラ出現、大干魃とその法会、安永2年から7年までの大きな出来事を記録した本であるように感じる。彼は一生を通して尾張の事柄を日記に記録した。 ![]() ●名古屋市博物館・新卑語姑文庫から『猿猴庵日記』 が刊行されている。 |